日本とイギリスの恋愛事情

テレビのNetflixでテラスハウス(英語の字幕付き)を観ていて、改めて日本の恋愛事情って特殊だなと気づいた。食、サービスをはじめとして色々な文化も特殊だが、恋愛事情ってパッと観光しただけではあまりわからない文化なので、この番組ではそれを海外に上手く伝えることができる。

イギリス人も一緒にハマっていて、彼らからはYOUもびっくりな辛口コメントが飛び交う。彼らにしてみたら小学生のようなピュアな恋愛を見ているようだという。

彼らには、まず告白というシステムを説明しなければいけない。直訳だとconfessionかな?

「日本人は、かしこまって好きですとコンフェッションしてからカップルになるというシステムがあって、それをKOKUHAKUというんだよねー」

自分で説明していてなんだかおかしくなってきたが、そもそも告白というシステム、どこから始まったんだ?考えれてみれば不自然極まりない。

欧米人の正式な「付き合いはじめ」は、デートを重ねたり連絡を取り合っていてもまだ「正式」ではないことが多い。

付き合う前に好きですと言うことはあまりないかもしれない。好きじゃなかったら何度もデートには誘わないでしょという暗黙のヒントがあるし、問題は単純に好きかどうかではないのだ。一緒にいて楽しいか、趣味や感性が合うか、アウトな行動はないか、何よりこの人と将来が見えるか(若いうちはそんなことどうでもいい時期もあるかも)、色々お試し期間という意味が多い。そして最終ステップを踏んだ後の展開で枝分かれする。急に冷たくなったらそれ目的だけだということ、逆にそこから一緒にいる時間が増えて友人や家族にパートナーとして紹介されて、初めて、正式に付き合っていると言えるのだ。

ただ、ストレートな欧米人たちにすらハードルが高い言葉がある。

“I love you”

これを初デートで言ったら、

「知り合ったばかりなのに私の何がわかってそんな口聞いてんの!?キモっ」で終了。

3回目のデートでも、5回目でもまだ早い。

じゃあいつ言うものなの?と(自称)経験豊富な旦那に聞いてみると、「それはmillion dollar question  だねー」と。つまり正解はない。付き合い始めて3ヶ月で結婚を決めるカップルもいれば、10年付き合ってから結婚するカップルもいるのと同じで、それぞれの状況や相性によって変わってくるのだ。

そう、I love youは「僕(私)と結婚してください」ばりに重い言葉。

そして、男女どちらから先に言うかでもプライド争いの種になる。

そこを一度クリアすれば、挨拶がわりのように毎日交わす言葉になるのだが。

話は変わるが、前回の一時帰国中にふとテレビで「逃げ恥」を観た。

唖然としてしまった。

やっぱり日本の恋愛事情は特殊だよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌の解剖学

最近ハマっている本。

Anatomy of a Song

歌の解剖学、とでも訳せるこの本は、誰もが知っている数々の名曲がどのようにして作られたのか、作家やアーティスト、セッションミュージシャンへのインタビュー形式で綴られている。

それぞれ短編小説を読んでいるようなドラマがあって非常に興味深い。

Joni Mitchellが彼氏(Graham Nash、60年代から活躍していたフォーク歌手)と別れた直後、傷心旅行で行ったギリシャで出会った男性とのことを歌った”Carey”(そしてその後歴史に残る名作アルバム、Blueが発表されることになる)や、Janis Joplinが友人たちとダイナーで食事しながら作ったというMercedes Benz (この曲の正式なレコーディングを待たずに彼女はヘロインオーバードースで帰らぬ人となってしまった為、残っているテイクは他の曲のレコーディングの空き時間の鼻歌バージョン)、教会の活動資金を集める為にゴスペル歌手が作ったのがのちの大ヒットになった”Oh Happy Day”、ポップソング形式にとことん反発して作られたLed Zeppelinの”Whole Lotta Love”(でもシンプルなギターリフは色々な楽曲からインスパイアーされている)など。さらにそれらの曲の元ネタを検索することで、ポップソングの歴史の勉強にもなっている。

これらのストーリーを読んでいて、それぞれの名曲が生まれた背景には共通点があることに気づいた。

一つは、実は完全なオリジナリティというものは多くの場合存在せず、みんな何かしらの既存曲に影響を受けているということ。ギターリフなどの元ネタを調べてみると、ほんとだ同じじゃん、と若干がっかりすると同時に、インスピレーションは色々な所にあるんだなぁと希望も見えた。ポップソングの根っこをたどっていくと、ブルーズやゴスペルなど、アメリカの黒人ルーツ音楽の影響が濃い印象だ。

そして、作家本人はまさかヒットになるとは思わなかったという場合が多い。

スタジオでセッションしていく中で曲の軸になるようなイントロやリフが出来たり(スタンドバイミーのイントロなど)、アンプに寄りかかって偶然フィードバックを発見したり、テープのオーバーダビングで偶然いいかんじのディレイが出来たり、偶然の発見が多いというのも共通点だ。

サイエンスのように、 実験を繰り返していく中で、意図していないふとしたときに大発見があるのかもしれない。

 

 

30代でわかってきた3つのこと

誕生日。20代から30代になる時はなんだかソワソワしていたが、30代はとにかく楽しくてしょうがない。
20代の変なプライドや焦りもなくなり、自分と落ち着いて向き合えるようになったせいか、ゆとりが出てきた。(ゆとり世代ではない)。
ゆとりが出ると、まわりをもっと俯瞰して見れるようになる。
そうやってわかってきたことが3つある。
ひとつめは、人生に勝ち負けや順位はないからこそ、とにかく楽しんだ者勝ちということ。
2つ目は、他人にどう思われているか、人の目を気にしないことの潔さ。
なぜかというと人はみんな自分のことに精一杯で、実は他人のことは何も見えていないからだ。
他人のことが見えていないからこそ、陰口や批判を口にする。
どんな事情があって、どんな心境で、真実はどんな状況にいるのか。それが見えていたら悪口なんて言えない。
そこまで見透かせるのは、本当にごくわずかな親しい友人やパートナーだけだ。
それ以外はみんな自分のことで精一杯で、他人のことなんて少しも見えていない。それは理にかなっているし、決して悪いことではない。
だから『人の目』なんて本当は存在しない。『人の盲目』が虚像を映しているだけだ。

3つめは、このブログでもよく書いてきたことだが、愛を込めることの大切さ。歌はもちろんのこと、料理でも、何をするにしても、人との接し方でも、『愛』ということばを思い浮かべるだけで魔法がかかる。

マザーテレサやガンジーのようにはとうていなれないが、ひとりひとりの、日々の小さな愛の心がけが、大きなものになっていくと信じている。
このまま30代も切磋琢磨しながら、楽しく駆け抜けていきたい。

イギリスでは何歳からが成人?

日頃からイギリスの愚痴を言ってばかりいる気がするが、そんなイギリスでもこれはいいなと思うところがある。

それは、子供を子供扱いしないという教育方針。

アメリカに住んでいた頃、yuck(y)(ばっちい)やyummy(おいちい)などの赤ちゃん言葉をよく耳にしたが、イギリスではそれらの言葉をあまり聞かない。子供の頃からわりと大人と同じ口調で教育されている。

街中で見かける子供は大人のようにしっかりと話し、”please”や”thank you”なども親が口酸っぱく教え込んでいる印象だ。

そのせいか、イギリス人は子供の頃から大人と対等に話す習慣がつき、コミュニケーション能力も早くから発達する。

考えてみれば当然、子供や大人関係なく、単純に生まれた時から人間ということは変わらない。

(もちろん同じイギリス人でも親の教育の仕方には大きく差があるが)

2007年に18歳に引き上げられるまで、イギリスでは16歳からタバコの購入が合法で、日本では考えられないが、高校にれっきとした喫煙所があり、そこが交流の場になっていたという。

日本から高校留学した友人たちは、みんなそうやって『タバコ仲間』から友達を作っていったと聞いたことがある。

18歳で少年法適用外(ただし、18歳以上21歳未満の者に対しても、青少年犯罪者教育施設への拘置など、成人と違う処置が施される場合あり、その他終身刑に関してなど条件あり)、選挙権、飲酒がオッケーになるので、日本でいう法的な成人はイギリスでは18歳が近いようだ。アメリカでは21歳から飲酒が合法になるので、21歳の誕生日を盛大に祝う。

その習慣を真似てかイギリスでもやはり21歳のバースデーは特別なイベントになる。

こう考えると『成人』の概念はお酒とも関係しているのかな?

何はともあれ、

新成人の方々、おめでとうございます。

Thinking outside the box

Abstract Expressionism(抽象表現主義)の話の流れで思ったこと。
今の楽曲の制作過程で一番大事なのは、型を崩していくこと。
どのアーティストもファーストアルバムが一番素のインパクトが強いのは、ある意味型が出来ていないからだ。
そこから色々な型にはまっていこうという方向に進んでいく。メジャーレーベルのアーティストだったら、とにかく売れるものを作ること。
ペインターだったら、より描写力を身につけること。それが崩れて爆発したものがAbstract Expressionism(抽象表現主義)だが、音楽では何だろう?ポストロックさえ、もともとは型からの脱皮だったのが今ではわりとメインストリームなジャンルになっている。
この崩す作業を個人的にとことんやっていかなければと思っている。
メロディーひとつにしても癖がついている。これが個性になるのだが、これも崩してみたい。
そして歌い方や声の使い方。声をサンプリングしたり、新たな発声法を試してみたり。
崩して削ぎ落として、その芯の部分を追求していきたい。
売れることを考えたらゲームオーバー。そこで終了だ。
英語でThink outside the boxという表現がある。まさに、型(箱)の外で考えてみるという表現だ。2017年の大きなテーマになる。

何がしたいか、より、何をしているか

年末に、Abstract Expressionism(抽象表現主義)のエキシビションを観てきた。マーク・ロスコやジャクソン・ポロックなどのアメリカ40年代以降の大きなムーブメントだ。
巨大なキャンバスの上で絵の具の質感が自由に展開され、色のインパクトがギャラリーの空間に浸透する。
これらの作品を観て、『何がしたいのか分からない』と感想を言う旦那。ルネサンス芸術やフェルメール、レンブラントなどのクラシカルな絵画を好む彼は、作品で表現されているものがはっきりしていないと、具体的に画家が何がしたいのか分からないと言う。
『何がしたいのか』じゃなくて『何をしているか』その行為そのものが大きなコンセプトなのだ。画家がアスリートだとしたら、その鍛錬の軌跡がキャンバスに表現されている。たった一本の線で僕にも描けるよと思っても、その線に行き着くまでには長い過程があることこそが、作品性の軸になっているのだ。
そんなことを彼に力説していたら、ふと『人生の目標』についても応用できるのではと思いはじめた。人生においても、大きな目標よりも、現在進行形の過程の大切さを見落としがちなのでは、と。
何をしたいか考えている暇があったら、とりあえず何かをすること。頭の中でいくら考えても何も行動に起こさなければ、何の影響力もない。

いまの自分にも言える。考えてばかりで頭でっかちになっていたり。

一つ一つの色の選別やブラシストロークのように、試行錯誤を重ねていくことそのものが、『活動』そのものなのだ。

 

 

Happy New Year 2017!!

新年あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

年越しは、紅白ではなくイギリスの音楽番組、Later…with Jools Holland の”Hootenanny”特番を観ていました。フーテナニーとはスコットランド語でパーティーやお祝いという意味だそうです。ピアニストであるJoolsとビッグバンドとのセッション、豪華ゲストとのコラボでなかなか渋いカウントダウンでした。

この番組、南アメリカの民族音楽が奏でられる横でポールマッカートニーが歌っていたり、無名でも素晴らしい才能をいち早く紹介したりと、ブッキングの人凄いといつも唸るゲストのセレクションなんです。2017年の目標は、このイギリスきっての音楽番組に出ること。今年も最高の一年になりますように!!

 

 

 

2016年を振り返って

2016年もあと1日。

今年は個人的にも、世界的にも、大きな分岐点となる年だったように思う。

 

個人的には、今年はイギリス移住という大きな変化があった。

イギリスに来れて本当に良かった。私が長年抱えていた課題は、自分の音楽の可能性に挑戦するということだった。独立して活動を初めて以来、暗中模索状態だったが、暗い中手を伸ばしてみたらすぐに壁があった。それは心地良い温室のような壁でもあったが、それ以上広げる必要があると感じた。決して日本の音楽業界や環境を否定しているわけではない。そして何度も戻って来たい場所でもある。ただ外を見てみたかった。

移住してからは、様々なかたちでイギリスの音楽業界の社会勉強ができて、今までしたことのなかったトレーニング、オーディション、コラボなど、貴重な体験ができた。この半年間で、スイス、フランス、マルタ、ドイツ、ロシア、オーストリアと、多くのヨーロッパの国々を巡ることができた。

すぐに進むと思っていたイギリスでの音源リリースは、思ったよりも時間がかかってしまったが、これもまた新たな環境への期待値を下げるという過程が必要なのだろう。

12月の日本&中国ツアーは、そんな私のやさぐれた心を癒してくれた。何年も変わらず温かく迎えてくれるお客さん。神対応でサポートしてくれるスタッフ、ミュージシャン、まわりの方々。電車がスムーズに動いていてコンビニでおでんが食べられるという日本そのものの暮らしにも、全てに小さな感激が溢れた。こんな最高な人たちに、イギリスで日本人のシンガーソングライターとしてパイオニアになれるように成功して、良い報告をしたい、それしかない。

世界的には、やはりイギリスとアメリカの政治的な分岐点が大きかった。

国民投票の声は、とにかく大きな変化を求めていたのだろう。その変化の矛先が、明るい方向に向いていることを願うが、もしかしたら、この先また歴史を繰り返すようなことがあるかもしれない。そんな中で、一人一人が、愛を忘れないこと。(なんだか最近愛のことばかり書いている気がするが)身近にできることで、大きな影響力があることだ。

この文章を読んで下さっているあなたへ、沢山の愛と幸運を贈ります!

どうぞ良いお年をお迎えください。




 

 

 

 

イギリスのプレゼントの贈り方

ウィーンへのクリスマス旅行には、旦那さんと彼の娘との3人で行った。娘といってももちろんわたしの娘ではない。旦那さんは私とは2度目の結婚で、既に娘がいるのだ。

イギリスの家庭では、昼過ぎから始まる家族でのクリスマスディナーに合わせて、ストッキング(大きな靴下)を暖炉に掛けておく風習があるらしい。中にはお菓子や小物など、高価でないが小さなサプライズになるものを詰める。

娘さんは旅行にもマイ靴下を持ってきていた。そしてクリスマスイブには旦那さんがプレゼントをベッドサイドにセッティングする。サンタがお菓子を食べた形跡などを残し、娘への愛情溢れる演出だ。

日本ではあげる内容に気遣うが、イギリスではとりあえず何かをプレゼントする、よりたくさんのプレゼントを開ける喜びを楽しむ傾向があるようだ。

マイストッキングやサンタの演出など、微笑ましい光景だが、一つ突っ込みたくなるポイントがあった。

この娘さん、もう20代半ばの大の大人。笑

ヨーロッパのクリスマスの過ごし方

ヨーロッパの冬は夜が長い。夏は夜10時ぐらいまで明るいのに対して、冬になると一気に陽が短くなる。その特徴が生かされたものが、11月末ごろからドイツなどヨーロッパ各地で開催されるクリスマスマーケットだ。ライトアップされたマーケットに、様々な食べ物やドリンクが並び、香ばしい香りと明かりで、寒くて暗い街がいっきに活気で溢れる。

東京でも六本木ヒルズや横浜などで見かけたこのマーケットの本場を見たい!ということで、今年のクリスマスはオーストリアのウィーンを訪れた。


街中の角を曲がるたびに、色々なクリスマスマーケットに遭遇する。この時期のとっておきのドリンクは、ホットワイン。シナモンとフルーツの甘い味であたたまる。ビールフェスなどと同様マグカップはデポジット式で、欲しければ記念に持って帰れる。

こちらはエッグリキュールの入ったホットドリンク。ブーツ型のマグカップもお土産として可愛い。

今まで訪れた街の中で、こんなにクリスマスらしさを味わえる場所は初めて。街を散策し、マーケットを堪能、ウィーンのワルツを聴き、名物料理のシュニッツェルやソーセージを食べる。。ヨーロッパのクリスマスは、お腹いっぱいになるぐらいの魅力で溢れていた。