人種差別のお話

かなり久しぶりのブログながら、ヘビーなタイトル。

異国の地での人種差別はどうしても避けられないものだが、
どこまでを問題視するかは、実は日本人として曖昧だと思っている。

両方とも島国である日本とイギリスを、日本人である自分とイギリス人の旦那と移動していると、それぞれの国によって周りの態度がわかりやすいほど変わる。日本では、タクシーやレストランなど、旦那が頼んでも私に確認されるが、イギリスでは真逆のことが起きる。

イギリスも田舎になると日本と同じで、外国人が比較的珍しい場合もある。週末によくハイキングをするのだが、そこですれ違う人たちがイギリス人の旦那さんにのみ挨拶することが多い。これは差別なのか?あるいは普通にアジアン観光客だから英語話せないと思われているのか?
問題になるのはアジア人の差別的な言葉を言ってきたり、明らかに失礼な態度を取ったりする場合だが、そういったことは私はあまり体験したことがなかった。だがちょっと耳を疑ったこともある。イギリスではラジオに宣伝し、曲をかけてもらうように働きかける仕事をするプラガーという業種があるのだが、そのプラガーが、BBCのような大きなラジオにピッチングするにはイギリス人アーティストでないと難しいというのだ。むしろイギリスの音楽カルチャーは、異文化を取り入れてきたからこそ面白いものが生まれてきたと思っていたが、これにはがっかりした。もしかしたら、自国のアーティストのみをピックアップするというメディア(ラジオ)の企画なだけで、人種差別とは言えないのかもしれない。

イギリスも日本と同じ島国。その内輪ネタのかんじ、わからなくもないのだ。日本語で演歌を歌う外国人のように、共感できるエッセンスを入れて惹きつけることが大事だ。もしくは外国人ということを隠す?
とにかく差別の問題は、白黒はっきりしないからこそ複雑だ。そしてクロスカルチャーで成り立っていると思っていた音楽に関しても、そういった問題があるのだ。新たな音楽マーケットに挑戦するという意味では、もしかしたら一番ハードル高いところに来ちゃったのかもしれない。だからこそ挑戦し甲斐があるんだけど。

ちなみに先日サッカーW杯の日本戦をBBCで観ていて、解説者の発言にも疑問に思ったことがいくつかあった。日本のプレーに対して、

they’re playing their “little” football
→『小さな』サッカー??完全に見下してるよね?
It’s a land of giants for them
→『巨人の国に来た小人』。確かにベルギー人とは明らかに体格違うけど
They sacrificed themselves
→『身を削って』戦った
これでもいいけど、普通に頑張ったとかベスト尽くしたでもいいのでは?なんか鼻につくな〜

もともとイギリス英語の表現は、鼻につく皮肉が込められた言い回しが特徴だが、ストレートにバカにしていないながらも、曖昧な表現がきになる。差別のグレーゾーンをかすり続ける理由は、もやっとしたディスりに反抗しない、日本人の事なかれ主義精神と相まって、その曖昧さを増すばかり。そもそも日本人の中での『差別』に対するモラルや危機感も、かなり低い気がする。これもこれでまた別の、大きな社会問題だ。

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