Japanese Artist in the UK

(日本語に続く)

In the beginning of my music venture in the U.K, I came across a music lawyer who said

“No way you can succeed as a recording artist in the U.K; being a successful songwriter is already like climbing a steep mountain, but being a successful artist on your own right is like climbing up a cliff.”

He might have been practical, but those things only fire me up to prove him wrong.

During the 10+years working with labels, managements, and publishers in Japan, I’ve learned that (at least in Japan)the industry runs like a well made machine. Working as a songwriter is like being one of the essential parts of the machine, and making a hit would surely be a great fulfillment.

As a self-proclaimed artist, the dilemma between making something that you really want(to make)and something that has larger demand is unavoidable. Making a song based on an established model is the typical form of ‘industry’.

Isn’t art supposed to rebel to that very concept? This is another unavoidable question that I ask my self every single day. I can never say yes to that because as much as I want to make something outstanding, I want to deliver it to as many people as possible.

What I had been doing since I moved to the U.K to pursue my career in music (while all my friends were busy having babies and buying family homes), was relentlessly writing new songs, collecting insights from music industry people, collaborating with local producers, and simply living as a Japanese in a middle-class-white-people-with-pushchairs-and-dogs-dominated countryside town outside London.

That really changed my songwriting style. I began to write about my life, exactly how it is, without trying to appeal to the audience nor to hide honesty. It became clear to me that authenticity is the most unique and strongest viewpoint as an artist, even without trying to think of what has the biggest demand or what would appeal to most people.

Another aspect to consider is the sound; production can really make or break the song. I have so much faith in the creators I work with in Japan, and the aim is to introduce those talents to the U.K. Market as well.

But what I had come to realize was something unexpected. As a country that has spawned generations of multi-cultural artistry and music, I thought the U.K. Music scene would be more accepting to new sound…but all of the reactions suggested that my songs should have a clear sense of genre to suite a familiar format.(i.e. Radio stations)

Each radio stations here have a distinct genre and target demographics, whereas in Japan, a radio station is more based on an area/city (like Tokyo FM, FM Osaka) and the genre of music depends on each programme.

Familiarity might be a key to the British music culture, just like reggae and ska became more prevalent through ska-punk; you can introduce something new by combining a familiar element to the sound.

 

イギリスでの音楽活動の模索の始まりは、音楽弁護士のひとことへの反発だった。
「イギリスでアーティストとして成功したいなんて、無謀。
作家として音楽出版社と繋がり、楽曲提供できるようになるのは大きな山を登るようなことだが、レコーディングアーティストとして成功するのは断崖絶壁を登るようなことだ」と。

彼は現実的なことを言っていただけかもしれない。

作家として活動することは、大きな音楽産業の一部品として働くことだ。
優秀な作家はたくさんいるし、ヒットが生まれればとてもやり甲斐のある仕事だ。

作り手にとって、
求められているもの、需要があるもの
と自分が作りたいもの
とのギャップは避けて通れない葛藤だが、既に流行っているものをモデルにして、あえて需要があるものを作るのはまさに産業の典型だ。
芸術はそういうものにたいする反逆なのではないかと、アーティストのめんどくさいエゴの塊が主張しつつも、せっかく世に送り出すものだから、より多くの人に聴いてもらいたいというのも確かだ。

同世代の友人たちが子育てやマイホームの購入で忙しくしている中、イギリスに引っ越してきてからしてきたことは、ひたすら曲作り、音楽関係の人たちから話を聞くこと、現地のプロデューサーとセッションしてみたり、そしてロンドン郊外の中流階級白人たちがバギーと犬を引き連れるような長閑な田舎町で、日本人として生活することだった。

そんな生活の中で、曲作りのスタイルがかなり変わってきた。
背伸びしていた部分が等身大になり、内気に隠していたものが前に出てきた。誰に聴いてもらうとか以前に、ありのままを見せることが、何よりものオリジナリティだということに気づいたのだ。

曲にとって大切なのは、サウンドだ。アレンジによって、曲が活きてくることもあるし、台無しになることもある。日本で一緒に制作しているチームには絶大な信頼をおいていて、彼らの才能を紹介することは一つの目標だ。

しかし実際にこちらに来て、予想外の事実を目の当たりにした。
様々なクロスカルチャーな音楽が生まれて来たイギリスでは、新たなサウンドが受け入れられやすいイメージがあったが、実は真逆だったのだ。
日本では、ラジオ局は地域ごとに分かれていて、流れる曲のジャンルは番組ごとに違う傾向があるが、イギリスでは局単位でかなりジャンルが細かく決まっている。

「馴染みのある音」がイギリスの音楽シーンの隠れたキーワードなのだ。
スカやレゲエもスカパンクのように白人にも馴染みのある要素を交えたことで、より広まっていった歴史がある。

他とは違うものを提示したいと思ったら、何か少しでも馴染みのある要素を入れることで、それに付随した新しい要素を伝えることができるのかもしれない。

日本とイギリスの恋愛事情

Netflixでテラスハウス(英語の字幕付き)を観ていて、改めて日本の恋愛事情って特殊だなと気づいた。食、サービスをはじめとして色々な文化も特殊だが、恋愛事情ってパッと観光しただけではあまりわからない文化なので、この番組ではそれを海外に上手く伝えることができる。

イギリス人も一緒にハマっていて、彼らからはYOUさんもびっくりな辛口コメントが飛び交う。彼らにしてみたら小学生のようなピュアな恋愛を見ているようだという。

彼らには、まず告白というシステムを説明しなければいけない。直訳だとconfessionかな?

「日本人は、かしこまって好きですとコンフェッションしてからカップルになるというシステムがあって、それをKOKUHAKUというんだよねー」

自分で説明していてなんだかおかしくなってきたが、そもそも告白というシステム、どこから始まったんだ?考えれてみれば不自然極まりない。

欧米人の正式な「付き合いはじめ」は、デートを重ねたり連絡を取り合っていてもまだ「正式」ではないことが多い。

諸々の恋人の行為をする前に、好きです付き合って下さい、と言うことはあまりないかもしれない。好きじゃなかったら何度もデートには誘わないでしょ、という暗黙のヒントがあるし、問題は単純に好きかどうかではないのだ。一緒にいて楽しいか、趣味や感性が合うか、アウトな行動はないか、この人と将来が見えるか(若いうちはそんなことどうでもいい時期もあるかも)、色々お試し期間という意味が多い。男女の仲になった後、急に冷たくなったらそれ目的だけだということ、逆にそこから友人や家族にパートナーとして紹介されて、、と段階を経ていく。

ただ、ストレートな欧米人たちにすらハードルが高い言葉がある。

“I love you”

これを初デートで言ったら、

「知り合ったばかりなのにキモっ」で終了。

3回目のデートでも、5回目でもまだ早いかもしれない。

じゃあいつ言うものなの?と(自称)恋愛経験豊富な旦那に聞いてみると、「それはmillion dollar question  だねー」と。つまり正解はない。付き合い始めて1ヶ月で結婚を決めるカップルもいれば、10年付き合ってから結婚するカップルもいるのと同じで、それぞれの状況や相性によって変わってくるのだ。

I love youは「僕(私)と結婚してください」ばりに重い言葉。

そして、男女どちらから先に言うかでもプライド争いの種になる。

そこを一度クリアすれば、挨拶がわりのように毎日交わす言葉になるのだが。

話は変わるが、前回の一時帰国中にふとテレビで「逃げ恥」を観た。

唖然としてしまった。

やっぱり日本の恋愛事情は特殊だよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌の解剖学

最近ハマっている本。

Anatomy of a Song

歌の解剖学、とでも訳せるこの本は、誰もが知っている数々の名曲がどのようにして作られたのか、作家やアーティスト、セッションミュージシャンへのインタビュー形式で綴られている。

それぞれ短編小説を読んでいるようなドラマがあって非常に興味深い。

Joni Mitchellが彼氏(Graham Nash、60年代から活躍していたフォーク歌手)と別れた直後、傷心旅行で行ったギリシャで出会った男性とのことを歌った”Carey”(そしてその後歴史に残る名作アルバム、Blueが発表されることになる)や、Janis Joplinが友人たちとダイナーで食事しながら作ったというMercedes Benz (この曲の正式なレコーディングを待たずに彼女はヘロインオーバードースで帰らぬ人となってしまった為、残っているテイクは他の曲のレコーディングの空き時間の鼻歌バージョン)、教会の活動資金を集める為にゴスペル歌手が作ったのがのちの大ヒットになった”Oh Happy Day”、ポップソング形式にとことん反発して作られたLed Zeppelinの”Whole Lotta Love”(でもシンプルなギターリフは色々な楽曲からインスパイアーされている)など。さらにそれらの曲の元ネタを検索することで、ポップソングの歴史の勉強にもなっている。

これらのストーリーを読んでいて、それぞれの名曲が生まれた背景には共通点があることに気づいた。

一つは、実は完全なオリジナリティというものは多くの場合存在せず、みんな何かしらの既存曲に影響を受けているということ。ギターリフなどの元ネタを調べてみると、ほんとだ同じじゃん、と若干がっかりすると同時に、インスピレーションは色々な所にあるんだなぁと希望も見えた。ポップソングの根っこをたどっていくと、ブルーズやゴスペルなど、アメリカの黒人ルーツ音楽の影響が濃い印象だ。

そして、作家本人はまさかヒットになるとは思わなかったという場合が多い。

スタジオでセッションしていく中で曲の軸になるようなイントロやリフが出来たり(スタンドバイミーのイントロなど)、アンプに寄りかかって偶然フィードバックを発見したり、テープのオーバーダビングで偶然いいかんじのディレイが出来たり、偶然の発見が多いというのも共通点だ。

サイエンスのように、 実験を繰り返していく中で、意図していないふとしたときに大発見があるのかもしれない。

 

 

イギリスでは何歳からが成人?

日頃からイギリスの愚痴を言ってばかりいる気がするが、そんなイギリスでもこれはいいなと思うところがある。

それは、子供を子供扱いしないという教育方針。

アメリカに住んでいた頃、yuck(y)(ばっちい)やyummy(おいちい)などの赤ちゃん言葉をよく耳にしたが、イギリスではそれらの言葉をあまり聞かない。子供の頃からわりと大人と同じ口調で教育されている。

街中で見かける子供は大人のようにしっかりと話し、”please”や”thank you”なども親が口酸っぱく教え込んでいる印象だ。

そのせいか、イギリス人は子供の頃から大人と対等に話す習慣がつき、コミュニケーション能力も早くから発達する。

考えてみれば当然、子供や大人関係なく、単純に生まれた時から人間ということは変わらない。

(もちろん同じイギリス人でも親の教育の仕方には大きく差があるが)

2007年に18歳に引き上げられるまで、イギリスでは16歳からタバコの購入が合法で、日本では考えられないが、高校にれっきとした喫煙所があり、そこが交流の場になっていたという。

日本から高校留学した友人たちは、みんなそうやって『タバコ仲間』から友達を作っていったと聞いたことがある。

18歳で少年法適用外(ただし、18歳以上21歳未満の者に対しても、青少年犯罪者教育施設への拘置など、成人と違う処置が施される場合あり、その他終身刑に関してなど条件あり)、選挙権、飲酒がオッケーになるので、日本でいう法的な成人はイギリスでは18歳が近いようだ。アメリカでは21歳から飲酒が合法になるので、21歳の誕生日を盛大に祝う。

その習慣を真似てかイギリスでもやはり21歳のバースデーは特別なイベントになる。

こう考えると『成人』の概念はお酒とも関係しているのかな?

何はともあれ、

新成人の方々、おめでとうございます。

Thinking outside the box

Abstract Expressionism(抽象表現主義)の話の流れで思ったこと。
今の楽曲の制作過程で一番大事なのは、型を崩していくこと。
どのアーティストもファーストアルバムが一番素のインパクトが強いのは、ある意味型が出来ていないからだ。
そこから色々な型にはまっていこうという方向に進んでいく。メジャーレーベルのアーティストだったら、とにかく売れるものを作ること。
ペインターだったら、より描写力を身につけること。それが崩れて爆発したものがAbstract Expressionism(抽象表現主義)だが、音楽では何だろう?ポストロックさえ、もともとは型からの脱皮だったのが今ではわりとメインストリームなジャンルになっている。
この崩す作業を個人的にとことんやっていかなければと思っている。
メロディーひとつにしても癖がついている。これが個性になるのだが、これも崩してみたい。
そして歌い方や声の使い方。声をサンプリングしたり、新たな発声法を試してみたり。
崩して削ぎ落として、その芯の部分を追求していきたい。
売れることを考えたらゲームオーバー。そこで終了だ。
英語でThink outside the boxという表現がある。まさに、型(箱)の外で考えてみるという表現だ。2017年の大きなテーマになる。

何がしたいか、より、何をしているか

年末に、Abstract Expressionism(抽象表現主義)のエキシビションを観てきた。マーク・ロスコやジャクソン・ポロックなどのアメリカ40年代以降の大きなムーブメントだ。
巨大なキャンバスの上で絵の具の質感が自由に展開され、色のインパクトがギャラリーの空間に浸透する。
これらの作品を観て、『何がしたいのか分からない』と感想を言う旦那。ルネサンス芸術やフェルメール、レンブラントなどのクラシカルな絵画を好む彼は、作品で表現されているものがはっきりしていないと、具体的に画家が何がしたいのか分からないと言う。
『何がしたいのか』じゃなくて『何をしているか』その行為そのものが大きなコンセプトなのだ。画家がアスリートだとしたら、その鍛錬の軌跡がキャンバスに表現されている。たった一本の線で僕にも描けるよと思っても、その線に行き着くまでには長い過程があることこそが、作品性の軸になっているのだ。
そんなことを彼に力説していたら、ふと『人生の目標』についても応用できるのではと思いはじめた。人生においても、大きな目標よりも、現在進行形の過程の大切さを見落としがちなのでは、と。
何をしたいか考えている暇があったら、とりあえず何かをすること。頭の中でいくら考えても何も行動に起こさなければ、何の影響力もない。

いまの自分にも言える。考えてばかりで頭でっかちになっていたり。

一つ一つの色の選別やブラシストロークのように、試行錯誤を重ねていくことそのものが、『活動』そのものなのだ。

 

 

Happy New Year 2017!!

新年あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

年越しは、紅白ではなくイギリスの音楽番組、Later…with Jools Holland の”Hootenanny”特番を観ていました。フーテナニーとはスコットランド語でパーティーやお祝いという意味だそうです。ピアニストであるJoolsとビッグバンドとのセッション、豪華ゲストとのコラボでなかなか渋いカウントダウンでした。

この番組、南アメリカの民族音楽が奏でられる横でポールマッカートニーが歌っていたり、無名でも素晴らしい才能をいち早く紹介したりと、ブッキングの人凄いといつも唸るゲストのセレクションなんです。2017年の目標は、このイギリスきっての音楽番組に出ること。今年も最高の一年になりますように!!

 

 

 

2016年を振り返って

2016年もあと1日。

今年は個人的にも、世界的にも、大きな分岐点となる年だったように思う。

 

個人的には、今年はイギリス移住という大きな変化があった。

イギリスに来れて本当に良かった。私が長年抱えていた課題は、自分の音楽の可能性に挑戦するということだった。独立して活動を初めて以来、暗中模索状態だったが、暗い中手を伸ばしてみたらすぐに壁があった。それは心地良い温室のような壁でもあったが、それ以上広げる必要があると感じた。決して日本の音楽業界や環境を否定しているわけではない。そして何度も戻って来たい場所でもある。ただ外を見てみたかった。

移住してからは、様々なかたちでイギリスの音楽業界の社会勉強ができて、今までしたことのなかったトレーニング、オーディション、コラボなど、貴重な体験ができた。この半年間で、スイス、フランス、マルタ、ドイツ、ロシア、オーストリアと、多くのヨーロッパの国々を巡ることができた。

すぐに進むと思っていたイギリスでの音源リリースは、思ったよりも時間がかかってしまったが、これもまた新たな環境への期待値を下げるという過程が必要なのだろう。

12月の日本&中国ツアーは、そんな私のやさぐれた心を癒してくれた。何年も変わらず温かく迎えてくれるお客さん。神対応でサポートしてくれるスタッフ、ミュージシャン、まわりの方々。電車がスムーズに動いていてコンビニでおでんが食べられるという日本そのものの暮らしにも、全てに小さな感激が溢れた。こんな最高な人たちに、イギリスで日本人のシンガーソングライターとしてパイオニアになれるように成功して、良い報告をしたい、それしかない。

世界的には、やはりイギリスとアメリカの政治的な分岐点が大きかった。

国民投票の声は、とにかく大きな変化を求めていたのだろう。その変化の矛先が、明るい方向に向いていることを願うが、もしかしたら、この先また歴史を繰り返すようなことがあるかもしれない。そんな中で、一人一人が、愛を忘れないこと。(なんだか最近愛のことばかり書いている気がするが)身近にできることで、大きな影響力があることだ。

この文章を読んで下さっているあなたへ、沢山の愛と幸運を贈ります!

どうぞ良いお年をお迎えください。




 

 

 

 

イギリスのプレゼントの贈り方

ウィーンへのクリスマス旅行には、旦那さんと彼の娘との3人で行った。娘といってももちろんわたしの娘ではない。旦那さんは私とは2度目の結婚で、既に娘がいるのだ。

イギリスの家庭では、昼過ぎから始まる家族でのクリスマスディナーに合わせて、ストッキング(大きな靴下)を暖炉に掛けておく風習があるらしい。中にはお菓子や小物など、高価でないが小さなサプライズになるものを詰める。

娘さんは旅行にもマイ靴下を持ってきていた。そしてクリスマスイブには旦那さんがプレゼントをベッドサイドにセッティングする。サンタがお菓子を食べた形跡などを残し、娘への愛情溢れる演出だ。

日本ではあげる内容に気遣うが、イギリスではとりあえず何かをプレゼントする、よりたくさんのプレゼントを開ける喜びを楽しむ傾向があるようだ。

マイストッキングやサンタの演出など、微笑ましい光景だが、一つ突っ込みたくなるポイントがあった。

この娘さん、もう20代半ばの大の大人。笑

愛を込めるということ

実家の近所に夫婦が営む小さなご飯屋さんがある。

素材にこだわった、特別すぎない馴染みのある献立、だけど家では食べれない手の込み方。

お米の産地、種類と炊き方にこだわり、イギリス暮らしで和食に飢えた日本人の心をピンポイントでくすぐる。

米粒を残さずきれいに食べることは日本人としての基本的なマナーだということを、その店でイギリス人の旦那に力説していたのだが、

食のレベルははっきり言ってイギリスと日本では話にならないぐらい違う。

それは素材とか調理法の話ではなく、食に対する哲学や精神論にまで至る。

イギリスの調理はとにかく小麦粉。

スコーン、パイ、パスティー、ソーセージロール、何でもとりあえずパン生地系。

パスティーとは、シチューなどの煮物をパイ生地に包んで、農作業などの労働者向けの手弁当として持たせたそうだ。日本でいう梅干し入おにぎりのような感覚だ。

クリスマスに食べるクリスマスプディングは、乾燥したフルーツを濃厚なケーキ地に混ぜたスイーツ。保存食なので何ヶ月も持つ。

豚の内蔵と血を凝縮した太いソーセージのようなブラックプディング。響きはなかなかだが個人的には結構好きな味と食感。鉄分など栄養豊富だそうだ。

こうやって考えるとイギリス料理の目的はシンプルで合理的だ。

フルーツを長持ちさせる保存食としてのクリスマスプディング。シチューの残し物を活用したパスティー。豚の血までも残さず使ってしまうブラックプディング。

料理の過程よりも、保存させたり食材を無駄にせずあらゆるパーツを使うという点において、イギリス料理は料理というよりもお腹を満たし生きるための手段という印象がある。

それに比べて、日本の食文化はその過程を大切にしているところにおいて、愛を感じるのだ。

材料を育てる、仕入れる、調理する、そして食べるときも五感で楽しむ、、

そういった細やかなこだわりが、素晴らしいよなぁと旦那としみじみ、

お店のカウンター越しに、手際の良いシェフをまじまじと見つめてしまう。